徳永憲 「ねじまき」

【ALBUM】ねじまき

世界のはずれでねじを巻く。止まった時間が動き出す。 静かな希望に満ちた、オルタナSSW・徳永憲の8枚目となるフルアルバム! 小島麻由美とのデュエット曲「悲しみの君臨」収録。ドラムに坂田学参加。 ジャケットは漫画家・黒田硫黄が描き下ろし。 2013年の「いま」を切り取った、静かな希望に満ちた「うた」の登場です!


収録曲

# Title
1 女子 女子 女子
2 大航海時代
3 北極星
4 ソファ
5 聞こえる 聞こえる
6 ポストに手紙
7 世界のはずれ
8 さよならの日々
9 うつつを抜かしたとて
10 暖かなもの
11 肩車の思い出がまた肩車をつくる
12 悲しみの君臨(デュエット with 小島麻由美)
13 目に映る明るい夜

オルタナ世代のシンガーソングライター徳永憲の8枚目となるアルバム「ねじまき」。 3・11以降に発表される、彼の初作品である。 「ある種の終末感を描いているが、決して終りの歌ではない。これは始まりの歌なのだ。ジャケの赤は夕焼けではなく、朝焼けのイメージ。つまりこれから夜が明ける、希望と出発のイメージである。ねじまきで、止まった時間が動き出す。止まった世界が回り始める。つまり、徳永憲のニューアルバム『ねじまき』とは、そういう作品である」(小野島大ライナーノーツより)。 小島麻由美とのデュエット曲「悲しみの君臨」収録。ドラムに坂田学(M2, M6, M13)参加。ジャケットは、5枚目の「スワン」をてがけた漫画家・黒田硫黄(セクシーボイスアンドロボなど)が書き下ろし。 「聞き手の心の深いところに入っていきたい。入っていって、なおかつそこで熟成させられるものというか、そういう表現を目指した」(本人談) 2013年の「いま」を切り取った、静かな希望に満ちた「うた」の登場です!作詞作曲プロデュース:徳永憲。


徳永憲 ねじまき ライナーノーツ (文: 小野島 大)

 『ねじまき』は、前作から2年2ヶ月ぶりにリリースされる、徳永憲にとって8枚目にあたるフル・アルバムである。そしてぼくはこの原稿を書くために、約12年ぶりに徳永と出会った。所属レーベルの事務所で再会した徳永は、驚くほど昔のイメージのままだった。歌詞ではあれほど豊穣でカラフルで深いイマジネーションと、重層的なニュアンスに満ちた世界を描き出すのに、インタビューでいざ自分自身や自分の音楽を説明しようとすると、途端に口ごもり、訥弁になってしまうのも昔通り。12年の歳月は一気に埋まってしまった。
 そして『ねじまき』の印象もまた、「変わらない徳永憲」というものだった。それは別稿のバイオグラフィに書いた通り、彼の音楽がデビュー時にしてすでにスタイルが固まっていて、いわば完成されたものだったことに起因する。声も、たたずまいも変わらない。もちろん音楽的には12年前に比べはるかに豊穣で洗練された大人の表現になっている。だが彼の本質が変わったようには思えない。『魂を救うだろう』を当時のマネージャーに初めて聴かされたときの衝撃から、その印象は地続きだ。
 だが同時に、『ねじまき』での徳永は、以前の徳永とは、やはり違うのだ。
 『ねじまき』は、サウンド面でいうと、ここ数作、特に5枚目のアルバム『スワン』からの流れを汲む作品と言えるが、前2作で導入されたホーンやストリングスなどはほとんど使われず、ストレートでベーシックなバンド・サウンドに徹している。彼のルーツのひとつと思われる90年代アメリカのオルタナティヴ・ロックやパワー・ポップ的な色が強い。かなりラウドなギターも鳴らされているが、彼の涼やかなヴォーカルと中和して、とても気持ちがいい音だ。ミックスとマスタリングの勝利だろう。そうしたサウンド面の変化は、本作の歌詞のテーマにも関係している。  本作でまず語られるべきは、歌詞であろう。徳永はブログ(2012年11月8日)で<今回は「歌」のアルバムだ。インストもなく、歌詞の比重もすごく高い。それだけに各々の曲に思い入れも強く、大変だ>と語っている。なぜそうなったのかという考察はあとで述べるとして、歌詞に関して徳永はこんなことを語っている。バイオグラフィの原稿で述べた、歌い方の変化と密接に関係している。

 「歌詞はね、基本的にはテーマは一緒だと思うんですよ、昔も今も。人の生き様の悲喜こもごもを、重箱の隅をつつくように歌っていくという。それが基本なんですけど、もう少し言葉ひとつひとつに含みを持たせるとか、そういう方向に変わってきてる。
 僕の基本は反骨精神というかひねくれ感にある。これはたぶん生まれながらにしてあって。で、そうなると人の共感を得ようとか、流行りに乗ってやるとか、そういうものよりは自分独自の表現を追求したくなる。人が気づかなかったことを書くとか。そんなこと言われてドキッとしたとか、そういう真実を。
 今でもそれは変わりないけど、もっと考えさせるような歌詞に変わってきてる。ほかにない視点というのもそうだし、解釈はひとつじゃないというか。そういう複層的な視点。含みを持たせて聞き手に委ねてる。初期のころからあったと思うけど、より抽象的になってる。昔からそういうメタファー的な使い方はしてたけど、昔はそれを無意識でやってたところを、もっと曲全体の流れのなかで意識して表現するようになった。深く聴きこんでもらえばハッとわかる、という。すぐに気づかなくてもいいから」

 言葉の強さのインパクトは初期のほうがあったかもしれない。だが今は格段に語彙も増えて表現が洗練されて深くなり、幅がぐーんと広がってる。それはヴォーカル・スタイルの変化に見あっているわけだ。
 「言葉のクオリティを自分なりに高めていくのに、ヴォーカルの感触も、今のままじゃダメだと思ったんでしょうね」

 そして本作は、そうしたここ最近の徳永の変化あるいは進化をもっとも端的に象徴したアルバムでもある。つまり本作が歌、もしくは歌詞中心のアルバムになった結果、歌詞が変わり、歌唱法も突き詰めたものに変わったのだが、なぜ<歌中心のアルバム>になったかと言えば、それは本作が3.11以降初めてリリースされる作品だからだ。この国に住む人間なら、まして表現者であれば、絶対に避けて通れない問題。それが本作に色濃く影を落としている。

 「確かにそういう影響は出てるとおもいます。全曲が震災後にできたってわけじゃないですけど、特に"肩車の思い出がまた肩車をつくる"は、震災以降の感じがめちゃくちゃ出てるなと思って」

 はっきりと状況が語られるわけではない。聞く人によってさまざまな光景が浮かぶだろう。ママがいない見知らぬ町で肩車をする親子。思い出は消えかかり、新しい町にはまだ慣れない。帰りたいが帰れない。だからここで生きていかなきゃいけない。
 「世界のはずれ」もまた、そうした歌だろう。世界のはずれで夢が終わり、ゼロに戻って、すべてをやり直す。
 このアルバムには「死」の匂いが濃厚だ。盟友・小島麻由美と静かなデュエットをかわす「悲しみの君臨」も(徳永と小島がお互いのアルバムでデュエットするのは、意外なことにこれが初めてだそうだ)、ちょっと遊び心をこめた「女子 女子 女子」も、そうだ。「肩車」や「世界」もあわせ、ある種の終末感のようなものが本作には立ち込めている。

 「震災当日はライヴの予定があって、一応チャリで下北の会場まで行ったけど、結局お客さんどころか店主も来てなくて、それで仕方なく帰宅難民の人たちとともに僕も帰ったんです。みんなその時の気分は共有してるはずですけど、不思議なもので、そういう気分て風化していきますよね、一般的な感覚としては。あとからTVで被災地はこうなってるって知ることはできるけど、そうじゃなくて、その時自分がどう感じたとか、どういう恐怖をおぼえたとか、こんなに脆い線上で家族と暮らしてたんだとか。そういう感覚をみんな身を持って体験してるはずだけど、それが風化していったら嫌だなっていうのがあって。そういうのはたぶん曲の中に落とし込めてると思う。
 ただ・・・こうして音楽にはできたけど、僕はその場その時に発信することができない。曲に落としこむのはしっかりしたものを作ってるという自負はあるけど、その場でこうだああだと自信を持って言うよりは、もうちょっと自分の中で寝かせたいというか。直接的に自分が感じたことを言うっていうのは、自分的には少し自信がない」

 徳永が熱心な音楽(特に洋楽)リスナーであることは、彼のブログを読んだことのある人ならご存知だろう。だがあれほど大量の音楽を浴びるように聞いていても、その影響らしきものはすぐに出てこない。彼の中で影響が蓄積され、時間を経て十分に発酵してから、彼のフィルターを通して、原型をとどめなくなるほどアレンジされて、出てくる。歌詞にしてもそうなのだ(徳永に、音楽的形成期に一番影響を受けたアーティストを尋ねたら、ローリング・ストーンズとレッド・ツェッペリンという、徳永の音楽とは似ても似つかぬアーティスト名が出てきて驚いた。ヒントは「変則チューニング」らしい)。徳永は歌詞に時事的なメッセージをこめるようなアーティストではない。心を揺さぶる大きな出来事も、彼の中で十分な時間をかけ、発酵してからでないと、その影響は出てこない。ダイレクトでジャーナリスティックな即時性はないが、そのぶん深く長く聴く者の心に染み込んでいく。時間をかけて彼の音楽はそのように進化してきた。 

 「"肩車"とか、そういう曲を書こうと思って書いたわけじゃないけど、できてみたら<ああそういうことか>
って気づいた。その時の感覚がちゃんと入ってきてる。こっちのほうが自分の肌にあってるというか。自分の意見として落とし込めてる気がします」

 さきほどぼくは「死の匂いが立ち込めている」という言い方をした。だがアルバムは決して悲観的なものにも悲劇的なものにもネガティヴなものにもなっていない。そして今回は彼特有の斜に構えたひねくれた表現もない。「世界のはずれ」も「肩車」も、ある種の終末感を描いているが、決して終わりの歌ではない。これは始まりの歌なのだ。

 「3・11以降に歌うべきものは何かって考えたら、このとき、この感覚が残っているときに何かを残していかなきゃいけないということ。そこで斜に構えてひねくれまくって煙にまいていくのは、なにか感覚的に違う。聞き手の心の深いところに入っていきたい。拒絶されるものでなくて。入っていって、なおかつそこで熟成させられるものというか。そういう表現を目指したんです」

 本作での徳永の表現は驚くほどまっすぐで素直で力強く、絶望的な状況を描きながらも、静かな希望に満ちている。音楽がベーシックでストレートなものになったのも、そういう理由だ。

 「とにかく思ったのが、自分の手持ちじゃないもので派手にするとかエキセントリックにするとか、そういうのは今回絶対ダメだなと。そういうのがあっても、ほかの時ならちょっとふざけた感じでやってもいいんですけど、今回はなんか違うなと思って、ストレートにいきましたね」

 ジャケット・デザインは、『スワン』を手がけた黒田硫黄が再び担当。前回同様、曲のデモと歌詞だけ渡してじっくりイメージを温めてもらい、何パターンか出てきたイラストのうち、目をひいたのは「ねじまきを持った人魚」の絵だった。

 「<ねじ>って言葉は歌詞にも一切出てこないんですけどね。今の世の中ではねじまきって、あまり使われないものじゃないですか。そういうものにすごく執着がある人で。ジャケの背景にあるのは時計の残骸らしいんです。時計の中で残ってるのがねじまきだけ。ねじをまくって行為は、止まってる時間を動かすとか未来を作り出すとか、いろいろな想像ができる。僕がそこでいろいろと膨らませていくと、世界が広がっていくかなと思ったんです。だから『ねじまき』ってタイトルはジャケからとったんです。ただ、人魚は足がない。足がなくて漂ってる感じよりは、ちゃんと地に足を着けた感じがいいと言って、こうなった。で、ねじまきってタイトルにするって言ったら、こんな適当に描いたのに、そんなでいいんですかって(笑)」

 ジャケの赤は夕焼けではなく、朝焼けのイメージ。つまりこれから夜が明ける、希望と出発のイメージである。ねじまきで、止まった時間が動き出す。止まった世界が回り始める。つまり、徳永憲のニュー・アルバム『ねじまき』とは、そういう作品である。

2012年12月22日 小野島 大 Dai Onojima
*文中の徳永憲の発言は、2012年12月13日に筆者がおこなったインタビューから抜粋しました。

徳永憲 バイオグラフィ (文: 小野島 大)

 徳永憲は1971年に滋賀県で生まれている。まんが好きのごく普通の少年だった徳永は、両親がラジオ局勤務だったこともあって、小さなころから音楽に囲まれた生活だったようだ。最初は歌謡曲のシングル盤を聴いていたが中学2年になって洋楽を聴き始め、本格的にロックにのめり込む。時は80年代。MTV全盛期である。友達から借りてアコースティック・ギターを始め、高校に入るとエレキ・ギターを購入、その翌年には初めてのバンド<フローズン・テイル>を同級生と組む。ネオアコ〜パワー・ポップ的な音楽性で、なんと最初から徳永のオリジナルのみを演奏していたらしい。だがこのバンドは早々に解散、まったく同じメンバーで<クリプティック・クリープス>という名に代わり、メタル〜ハードコア的な音楽をやるようになる。メタリカの「Damage Inc.」が得意レパートリーだったらしい。レパートリーは100曲にも及んだということだが、本人によれば「若気の至り」としか言いようのない「恥ずかしいシロモノ」だったようだ。このあたりの10代のころのエピソードは、徳永の公式サイトに、彼らしいユーモアを交えて書かれているので、ぜひご覧いただきたい。また同サイトには徳永自身によるかなり詳細なアルバム解説も記載されている。

 やがて高校を卒業し大阪の大学に進学。20歳の時初めて書いた日本語詞の曲を各レコード会社に送りつけ、ポニーキャニオンのディレクターの目に止まった。それをきっかけに1993年に上京。外資系のレコード店に勤めながらデモテープ作りに励み、本格的にプロへの道を歩み始めるのだが、それからデビュー・ミニ・アルバムの『魂を救うだろう』(1998年8月)まで、なんと5年もの歳月を費やしてしまう。この辺の事情はあまり本人の口から多く語られることはないが、デモテープをひたすら作り、レコード会社のディレクターとディスカッションを重ねるだけの日々は、やはりかなり鬱屈したものだったはずだ。もともとかなり多作家だが、この時期に作った曲は100曲を超えると以前聞いたことがある。彼が下積みの時期を送っていた時期は、ちょうど渋谷系の全盛期にあたる。もともとネオアコ・バンドをやっていたし、ルックスもあの通りだから、<渋谷系の貴公子>として華々しくデビューする選択肢もあったはずだが、そうはならなかったのは、渋谷系的な価値観とは明らかに異質なものを徳永の音楽がはらんでいたということだろう。だが当時はそれが受け入れられる状況ではなかった。それは『魂を救うだろう』を聞けばはっきりとわかる。雌伏の時代にディレクターに褒められたのは、徳永としては「適当に作った曲」であり、駄目だしされたのは「作為的なポップさや、ウケを狙って背伸びした感じがあった曲」だったという。つまり渋谷系の全盛期にウケを狙って作るような曲では、彼の良さはまるで発揮できなかった。『魂を救うだろう』の異物感、ごつごつとしたいびつさこそが徳永憲だったのだ。

 ぼくが彼の存在を知り、面識を得たのはこのころである。当時ぼくはこんな原稿を書いている。
 「ふにゃふにゃと頼りない声で歌われる、決して媚びているわけではないのに、頭の隅にこびりついて離れないメロディ。なにげなくフラットな感触で紡ぎ出される、どきりとするような辛辣で悪意に満ちた言葉。その底に澱のように降りつもった絶望感。救いを求める切実さとは裏腹なナンセンス度。生ギターの弾き語りなのに、世のフォーキー・ミュージックとは無縁なモダニズム。一見だらけているようで、安穏な小市民感覚とは確実に異なる緊張感あふれるアシッドなムード。受け入れるにしろそうでないにしろ、彼の音を、言葉を、声を何気なく聴き流すことはできなかった。あまたいる没個性な男性シンガー・ソングライター群とは圧倒的に一線を画した才能が、そこにあったのである」

 さながらデモテープのように素朴で装飾のない音創りは(実際、デモテープをそのまま流用した曲もある)、やや素っ気なくも聞こえるが、そのぶん彼の等身大の本質を過不足なく迂回することなく提示している。初めて聴いたのがこれだったこともあって、ぼくが彼の音楽に対して抱くイメージはこのミニ・アルバムに集約されている。当時本人はそれが自分の個性とははっきり認識していなかったようだが、お得意の変則チューニングによる曲作りも炸裂している。新作『ねじまき』を聞いて、もちろん年月を経て完成度は増し、大人の表現になってはいるが、彼の本質は驚くほど変わっていないように思えたのは(ついでに、その青年的なルックスもそのままだ)、デビュー時にすでに彼の音楽は完成し成熟していたということだろう。青年期に於ける5年の試行錯誤と紆余曲折は彼の音楽スタイルを完成させ、その表現に微妙な屈折と陰影を与えた。余談だが、収録曲の「わんわん吠えている」のPVに、当時ぼくが飼っていた犬が、本人とともに出演していることも懐かしい思い出だ。

 さて渋谷系のブームが過ぎ去ったころにデビューした奇妙なアシッド・フォーク・シンガーは、その後2枚のシングル盤を経て、ファースト・フル・アルバム『アイヴィー』(1998年12月)をリリース。『魂を救うだろう』に比べぐっとカラフルになったアレンジ、多彩に、ポップになった楽曲の数々は、ポップ・ソングのクリエイターとしての徳永の才能のほどをはっきりと示している。いまの耳で聞いても古びていない。皮肉で冷笑的だけでない、内向的だが優しく柔らかな側面がうかがえる本作は、『魂を救うだろう』とともに、個人的にもっとも印象的な徳永の作品のひとつだ。

 当時の音楽業界はCD売り上げがピークに達していた時期だが、続くミニ・アルバム『お先に失礼』(1999年9月)の制作途中で突然メジャー・ドロップとなり、結局事務所レーベルでの発売となったのは、その後の音楽業界の収縮ぶりを暗示するようでもある。『お先に失礼』は初めて本格的なバンド・レコーディングとなった作品だ。デビュー前は人前でライヴをやった経験がなかったが、デビュー後にライヴを重ねることで楽曲が「生きてきた」実感があった、と当時徳永は語っていたが、本作はそうした手応えの延長線上にある作品と言える。アコギの弾き語りばかりだった彼のライヴにパーカッションが参加しただけで、パッと視界が開けるような、実にイマジネイティヴでファンタスティックな広がりを示して感動した記憶があるが、本作にもそんな気分が漂う。

 そして2枚目のフル・アルバムとしてリリースされたのが『眠り込んだ冬』(2000年9月)である。『お先に失礼』に続くバンド・レコーディングが、すっかり板についたことがわかる充実したサウンド・プロダクションは、初のセルフ・プロデュースとは思えないぐらい。歌詞のテーマは、かねがね暖めていた「青春」で、「自分の作る曲の中で、そういうタイプの曲っていうのは今まで後回しにしてきたかんじだったんですけど、でも、実はそういう青春的なもの、若者がもがいてるかんじの、そういうものっていうのが一番、テーマとしては自分の書いてるものの中では重要な気がしたんで」と、当時のぼくとのインタビューで語っている。大学時代に書いた曲も収められ、青春の甘さ、惨めさ、カッコ悪さが、すでに青春の季節を過ぎつつあった徳永によって、彼らしい一歩引いたクールさで歌われる。ジャケット写真の寂寥感も印象的だ。そしてこのときのインタビューを最後に、ぼくは長いこと徳永に会うことはなかった。

 3枚目のフル・アルバム『嘘つきデビル』(2001年10月)は、前作同様バンド・レコーディングが主だが、打ち込みを使った自宅レコーディング曲もあり、仕上げとミックスを徳永自身が自宅のPCで仕上げたこともあって、初期のころのようなラフで手作りの箱庭感が感じられるのが興味深い。じっさい、このころから徳永の活動はやや隠遁的な、シーンの最前線から一歩引いたところから視線を投げかけてくるような、そんな印象のものになっていく。

 続く『サイレンサー』(2004年11月)は、徳永にしてはもっとも長い3年ものブランクを置いて作られたアルバムで、『魂を救うだろう』以来とも言える弾き語り作品。久々に変則チューニングばりばりのアシッド・フォーク作品に仕上がっていて、カセット録音による温かみとひんやりとした感覚が同居した音質も含め、こういう音が一番徳永らしい、という向きも多いだろう。繊細なアコギのプレイが美しく、腕の確かさを感じる。歌詞も曲も良い。ここから現在まで続くワイキキ・レコードとの付き合いが始まった。

 5枚目のアルバム『スワン』(2006年2月)。『嘘つきデビル』以来5年ぶりのバンド・レコーディング作品で、オープニング「赤い髪」のイントロの一人多重コーラスに、このアルバムに賭ける徳永の意欲を感じる。演奏も素晴らしいが、楽曲の開放的なポップ度という点では徳永の作品史上屈指の仕上がりだろう。また徳永自身もウエブ・サイトに書いているが、このアルバムで徳永の唱法が大きく変わった印象がある。初期からのふにゃふにゃの頼りない高音で歌う不安定な歌い方から、もっと落ち着いたソフトな歌い方へ変化している。これについては今回のインタビューで、こんなことを言っている。
 「歌い方に関しては今も初期のような歌い方はできるんですけど、あえて変えていったという感じですね。ある程度の普遍性を出したかった。初期のころはすごくいびつ感が出てて異物感があったんですけど、もう少しなめらかに歌詞を載せてみたいなと。簡単にいうと、洗練させたかったんですね。初期のあの感じから。自分なりの洗練を。『アイヴィー』とか今聞くと、直したいとことか、一杯あるんですよ。未熟だから。自分の頭の中でできてる完成形とギャップがあって、そのギャップを埋めたい。なんかの機会に聞き返したときに、ヴォーカルに関して特に「こういう歌い方でなくて、声にあった繊細な感じで歌えば、より完成度の高いものになったんじゃないか」と。もちろん『アイヴィー』は当時のフィーリングはちゃんと出てると思うので、やり直したいとは思いませんけど」  最新作『ねじまき』でも担当した漫画家・黒田硫黄が描いたジャケも印象的。

 デビュー10週年記念となる6作目『裸のステラ』(2008年9月)。いよいよ音楽家として円熟の境地に入ったことをうかがわせる完成度の高い作品。ホーンや弦楽器を導入し、楽曲も多彩でサウンド的にも陰影と起伏に富んでおり、音楽的なバランスという点では屈指の出来栄え、さすがにリスナーとして豊富な経験値が生きているし、キャリアを重ねた成熟と清新さが融合した出来は見事だ。

 そして2011年1月にリリースされた7作目が『ただ可憐なもの』。ナチュラルなアンビエンスに包まれた録音が息を呑むほど素晴らしく、フォークやトラッド、ロックからジャズやプログレ、ポスト・ロックまで飲み込んだアレンジと演奏は、さまざまな糸が絡みあったつづれ織りのように繊細にして大胆、牧歌的なようでサイケデリックな音作りと、純度の高い歌詞の世界は、ここでひとつの臨界点に達している。この時点での最高傑作と言って差し支えないだろう。

 そしてそれから2年2ヶ月を経てリリースされる8作目が『ねじまき』だ。

2012年12月22日 小野島 大 Dai Onojima
*文中の徳永憲の発言は、過去に筆者がやったインタビュー、および2012年12月13日に筆者がおこなったインタビューから引用しました。
大航海時代 (NEW arrival !  2013.3.20)
悲しみの君臨(デュエット with 小島麻由美)

メディア情報

  • ミュージックマガジン2013年4月号(3/20発売) インタビュー、レビュー
  • タワーレコード bounce 3月25日配布号 レビュー
  • CDジャーナル5月号(4/20発売) レビュー
  • ジャングル☆ライフ VOL.185(2013年4月1日発行) アーティストボイス
  • Cinra インタビュー掲載(2013年3月28日掲載)
  • ototoy  3月21日より アルバム「ねじまき」先行配信開始
       旧譜「スワン」より「セブン」が無料ダウンロードキャンペーン中


徳永憲(とくながけん)プロフィール

アコギを抱えたシンガーソングライター。
1998年ポニーキャニオンよりミニAL『魂を救うだろう』でデビュー。
以来、内向的で篭りがちな性格と戦いながら、これまでに7枚の傑作アルバムを発表している。
高い文学性を誇る歌詞は特にすばらしく、変則チューニングで作られる曲はポップ且つ、独創的。

徳永憲オフィシャルサイト